私と踊っていただけますか? -midnight-



 日が沈んでから降り始めた雨は夜半過ぎになってもまだ止まなかったが、雨粒が細かく風もない夜だったので、私は窓を開けたままにしておいた。昔から雨の臭いが好きなのだ。葉の腐ったような、土を耕すような臭いが。タイクーン城最上階、私の寝室であるこの部屋でもその臭いを感じることが出来る。
 羽根ペンを握り直し、今一度目の前に積み重ねられた書類へ立ち向かう。
 一年前に起こった世界の大変動の影響はこのタイクーンにも強い影響を及ぼした。東方以外の海が全て縮小した為、大気が以前よりも乾燥した。以前はむしろ湿度が高すぎるのがタイクーン地方の悩みであり、そういう意味では生活しやすくなったと考えられなくもない。とはいえ、今までの生活は湿度の高い気候に合わせて発達してきたのであり、特に農耕に関しては新たな方向性を模索しなければならない。
 今こうやって私が夜半過ぎになっても執務室で仕事を続けているのは、つまりそういう訳だ。あれから一年、周辺の植生に関してようやくまとまったデータが集まり始めてきた。まだ全然足りてはいないが、それでも早い内にこれをまとめ、学者達に検討してもらい、出来る所から現場で実践しなければならない。
 幸いなのは、魔物達の活動はめっきり影を潜めており、民の生活が安定していることだ。大きな飢饉などの心配はしなくても大丈夫だ。結局の所、以前の生活水準とトントン、と言った所だろうか。
 きっとどの国も同じようなモノだ。魔物が少なくなったからといってすぐに余裕が出る訳ではない。そうなるにはあと何十年かかることか。
 せっかく世界は救われたのに、と思わないと言えば嘘になる。しかし、過剰な蓄えがなければ戦争にもならないという訳で、その点では良かったと言えるだろう。
 出来れば、その余裕が出来る前に各国と世界平和を目指す条約、いや、約束を取り付けたい。そしてまた出来ればその中心にはタイクーンが、その王である私が立ちたい。世界平和を目指す組織、と言ったらあまりに夢物語に聞こえるだろうか。
 権力欲がある訳ではない。ただ、一度世界を救ったのなら、最後までそれを全うする責任が自分にはあるのだと思うのだ。父達もそういう人生に身を捧げたのだ。
 他の三人には、少し荷が重たいだろう。クルルはまだ若すぎる。と、姉さんに相談すると、姉さんは申し訳なさそうな顔をしながら『俺も出来るだけ協力するよ』と言った。私は『いいの、姉さんは無理しないで』と笑ったが、それは本心からだ。私がやりたいからやっていることだし、姉さんにも姉さんらしい人生を歩んで欲しいから。
 とはいえ、きっと私の代だけで叶う願いでもない。孫の代か、ひ孫の代か、もしかしたらもっとその先。彼ら彼女らがその大きな問題に立ち向かうとき、出来るだけいい環境を整えてあげておきたい。なれば、今はまず自国、タイクーンの安定を。とするとますやらなければいけないのは、つまり農業の立て直しとその方針と志で各国との連携を貿易で――。

 ぴしゃり、と自分の頬を叩いた。
 少し考えすぎた。深く考え込んで結局思考停止になってしまうのが自分の悪い癖だ。
 とりあえずは、目の前の書類だ。手を動かそう。
「あっ!」
 ガウンの袖に引っかかり、インク壺を倒してしまう。
「やだっもう私!」
 慌てて書類を脇に避け、適当な紙でそれを拭く。幸いなことに壺内のインクは残り少なく、被害は机の上の一部分だけですんだ。が、その一部分が重要な訳で。
 わざわざ執務室から寝室にまで仕事を持ち帰り、たっぷり二刻分はかけて作成した書類が、パーだ。つまりそれは、睡眠時間を削った意味まで消えた、という事だ。
「本当にもう。私ったら……最悪……」
 独り言を呟いてしまうくらいには、最悪だ。
 真っ黒ににじんだ書類を丸めて捨てる。少し休憩しよう。水差しからコップに水を注ぎ、一口舐めるように飲んだ。
 窓の外を見る。相変わらず静かに雨は降り続き、雲に覆われて月の光も少ない。ほぅ、と息をつく。
 そう言えば、二年前、みんなと出会ったばかりの頃にも考えすぎて失敗したことがあった。

 まだ旅が始まって間もない頃。ウォルスの北部にある小さな村に立ち寄った。夜遅くに着いたので、とりあえず宿に一泊してから次の日の行動に移った。
 持ち物の整備と、物資の補充、そして情報収集に別れようという事になった。私はみんながやりたがらなかった持ち物の整備――主に洗い物だ――に手を挙げた。みんなにはさぞ自分から面倒な役を買って出た優しい娘、のように見えただろうが、実際は違う。お父様のこと。クリスタルのこと。世界のこと。私がいなくて混乱しているであろう城のこと。旅の知識も、戦闘の実力も他のみんなに比べて明らかに劣っていたということ。そういう様々な問題が私を苛んでいて、そしてそれを考えることに手一杯になっていたんだ。だから、あまり頭を使うような仕事はしたくなかったのだ。黙々と、機械的に働けるような仕事がしたかっただけだ。
 私がえっちらおっちら汚れた衣服や装備を抱え、女将さんに宿の裏を貸していただけないかと聴いた。すると恰幅の良い女将さんは豪快な笑い声をあげながら私から汚れ物を取り上げた。
『こういうのはアタシの仕事だよ。アンタはそこらへんで散歩でもしてなさい』
『いえ、でも、防具なんかもあるので……』
『大丈夫大丈夫。見た目はか弱く見えるかもしれないけどね、実はアタシは防具屋の娘なのさ。アンタよりしっかり整備できる自信があるよ』
 そういってまた大きな笑い声を上げた。
 問答の末、言うこと聞かなきゃ宿を追い出す、とまで言われた私は仕方なくふらふらと町中へ出た。何もやることがない、という状況をあまり作りたくなかったのに。
 ガラフと姉さん――その頃はまだ姉だとは知らなかった訳だけど――のいるであろう酒場には、怖くてあまり近づきたくなかった。当時の私は可愛らしいな、と思う。今だったら酒場にいって『何真っ昼間からお酒なんて飲んでるの!』と言ってさんざんに叱りつけるのに。……こうみると、私はだんだんとあの女将さんに近づいていっている気がする。
 ふらふらと町中を歩きながら、ぐるぐると色々なことを考えていた。一番考えていたのは、もちろんお父様のことだ。風の神殿で消えた父が心配で仕方がなかった。自分に父を救う力が無いことが悔しくて悔しくて仕方がなかった。
 そんな事ばかり考えて、つまり頭が空っぽになったまま歩いていた所為だろうか、気がつくと足は中央の広場に向かっていた。そこの噴水の近くで、はおめかしをした十数人の男女が集まり、賑やかにしていた。
 なんとなくそちらをぼうっと見ていたら、後ろの気配に気付かなかったのだ。
 ――彼の気配に。
 弱々しい月の光を見つめて、水をもう一口舐めた、
 ――バッツの気配に
 あぁ、その頃は彼のことをバッツさん、だなんて呼んでいた。今だったら、どれだけ離れていたって私は彼に気付くことが出来るのに。
 不思議なことに、彼と話していると頭に渦巻いていた色々な問題が、その時だけはすっきりと片隅にのけられていった。久方ぶりに、父が飛竜と共に飛び立ったその時以来だ。
 だから私は凄く嬉しくなって、楽しくて、すっかり油断してしまっていたのだ。
『私と踊っていただけませんか?』
 机の上に頭を伏せた。
 ……えー、伝統とはあるもので。
 タイクーンの貴族文化においては、未婚の女性をダンスに誘う事が許されるのは既婚の男性のみだ。手を取って踊ることは互いに信頼と尊敬を持つという事で、成熟した男女ならばそれが許される。
 だから、未婚の男性が未婚の女性を誘うという意味は、つまり――。
 私は頬が熱くなるのを感じて、子供みたいに足をばたつかせた。うーうーとおかしなうなり声を上げる。こんなはしたない姿を誰かに見られたら恥ずかしくて気を失うが、当時のそれに比べればまだマシだ。
 つまり、ダンスに誘うというのは、えぇ、その、だから……そういう意味なのだ。
 し、しかしそれはあくまでタイクーンの風習であり、他国ではそれは通じません。もし外国との舞踏会が開かれた場合、もちろん相手様がこちらの風習を尊重し、汲み取っていただくのが最善ではあり、それが礼儀という物ではあります。ますが、何事もそう上手くいく場合ばかりではなく、間違いが起こるかもしれません。そしていざその時には、決しては取り乱してはなりません。それが慎み深い淑女というものであります。
 ……落ち着こう。コップに入った水を飲み干した。
 それに今ならわかるが、彼はあくまで冗談でそう言ったのだ。ダンスなんて全くわからない自分が、お姫様をダンスに誘ったら笑ってくれるのではないか、なんて。たぶんそんなことを思っただけなのだ。
 私が持っていない物を、彼は本当にたくさん持っているのだ。
「本当に、おかしな人」
 今度は非常に落ち着いた心地で。よく見えない月に向かってそんな独り言を呟いた。
「レナ様?」
「きゃあっ!」
 ノックの音に私は飛び上がって驚いた。机の上の書類がばさばさと絨毯の上に落ちる。
「れ、レナ様?」
「あ、ううん、大丈夫。何でもないの、ジェニカ」
 実直な従者は少し怪訝に思ったようだが、扉を開けるような事まではせず納得したようだった。落とした書類を拾い集め、また椅子に座り直して、ふぅと息をつく。
「それならよろしいのですが……。こんな時間までお仕事をなさって。お体に触ります」
「えぇ、ありがとう。もう寝るわ」
 実際は仕事は何一つ進まなかったのだけど。
「あなたももう寝た方が良いわ。無理しないで」
「えぇ、えぇ、それはもう。レナ様がお休みになられたらそうさせて頂きます」
 乳母の頃から何一つ変わらない、少し説教じみた愛情がありがたい。私が女王となった時に暇をだそうと思ったのに、彼女はテコでも動かなかった。きっと彼女の中では私はいつまでもちょろちょろ駆け回るお転婆な少女で、それが心配で仕方ないのだろう。そしてそれはある意味正しいのだ。
「わかったわ、もう寝るから」
「はい、それがよろしいかと。……それと」
 なにやら言い淀む様子のジェニカに、なぁに、と先を促す。
「その……サリサ様が」
「姉さんが? どうかしたの?」
「お部屋にいらっしゃらないので」
「あぁ、また出かけたの。いいのよ、いつものことだし。気にしないであげて」
 お姉様は私と同じ国を治める立場になっても、やはり元々の気質は隠せないようで、頻繁に城を抜け出す。私は構わないと思っている。先の通り、姉さんには姉さんの生き方を貫いて欲しいのだ。何かタイクーンの名に縛られることがあっても、そちらは私が何とかするから。
 ジェニカの大きな溜息が聞こえてきた。……何故か私に向けての溜息も混ざっているように感じたのは、気のせいだろうか。一国の王に向かってこれほど強く出ることが出来る老婆もそうはいまい。
「はい、わかりました。いつものことでございますしね。……ただ」
「ただ?」
「いえ、その……」
「今更なにを気にするの。どうしたの?」
「あぁいえ。……どうやらバルデシオンの姫様と何かご連絡をとっておいでのようで。また何か面倒ごとでも企んでいらっしゃるのではないかと」
「クルルと?」
「先日などクルル様からのお手紙を読みながらたいそう不機嫌な顔でぶつぶつ呟いておられでした」
「姉さんが不機嫌?」
 クルルからの手紙と、姉さんが不機嫌であること。それぞれ自体は珍しいことではないが、その2つが合わさっているというのは、珍しい。というか、想像がつかない。
「それはもう、親の敵と二日酔いと雷雨がいっぺんにやって来てチャンバラを始めたような顔をしておりました」
「それはまた……」
「申し訳ございません。長々と関係のないお話を。それではお休みなさいませ」
「えぇ、お休み」
「暖かくして下さいませね」
「わかったってば」
 ゆっくりとした足音が遠ざかっていった。本当に彼女から見たら私はまだ子供のままなのだろう。なんだかちょっと嬉しい気もする。
 立ち上がってぐぅっと伸びをした。なんだか急に眠くなってきた。横目で机の上に散らばった紙を見て、そしてそれを見なかったことにした。
 そのままベッドに倒れ込む。天蓋付きのベッドがぎしりと鳴いた。あぁ、ガウンの下はまだ寝間着ではない。着替えなければ。靴も脱がなければ。だけど、本当に急に眠くなってきてしまったのだ。布団の柔らかさと温かさが心地よい。
 微睡みの中で頭の中に様々な思いが飛ぶ。こんな時になっても考えすぎてしまう私の性癖はぬけてはくれないのだ。
 だけど、頭に浮かぶのは、机の上に積まれた山のような書類や、新たに出現した土地をどのように分割すれば良いのかという国際問題や、向ける先を失った兵や魔法をどのように運用していくのかという、そういう問題ではなく。
 結婚、という1つの言葉。それだけが様々な形を変えて頭の中で飛び交う。
 タイクーンは基本的に禅譲制だ。血の繋がりで王家が受け継がれていく訳ではない。たまたま私はお父様の跡を継いではいるが、お父様も先々代の王との血縁関係は一切無かった。つまり、タイクーン王の婚姻者というのは、他国に比べてそれほど魅力ある嫁ぎ先ではないのだ。
 ただそれでも、今回は私の子供が王の位に立つ可能性は高い。自慢ではないが、おそらく私を押してくれる人間は多く、それを否定する人間はほとんどいない。世界を救った勇者という殊勲は大きすぎる程に大きい。そして私も、自分の子供をその期待に恥じない人間に育てる自信がある。それが一番平和にタイクーンを納めることが出来る方法だろう。
 私との婚約とは、だからつまり相応の価値があるのだ。タイクーンの未来のための、1つのカードとして。
 タイクーンの未来のためには、私は私の望む結婚は許されない。そんな事は王の娘として生まれたときから知っていた。何の疑問にも思わなかった。価値が低いとしても、政略的な価値がゼロな訳ではない。身分相応な結婚相手を見繕わられるのだろうと理解していた。
 けれど、旅の間中、心の何処かで苛んでいた。旅が終わり、姉様と一緒に王女として即位したときに、気付いてしまった。
 ――もし、私がただの王の娘でしかない、という立場であれば。
 ――彼と、一緒に行きていく事が出来たのではないか。
 障害はあるだろう。だけど、今この状況、自分が国家元首であるという状況に比べれば、どれだけ自分が自由な身であることか。最悪、全てを捨てて逃げ出したとしても、タイクーンは揺るがないのだ。
 だがしかし、実際に私は王女となり今此処にいる。全てを逃げ出して許されるだろうか? 否、考えるまでもない。許される訳もない。私自身、許したくはない。この身はタイクーンに、ひいては全世界のために全てを捧げると決めているのだ。なんと誇らしい事か。なんと素晴らしい生き方か。
 わかりきった話だ。
 分かりきった話なのに、何故こんなにも胸がちくちくと痛むのだろう。
 それはきっと、出会ってしまったからだ。
 あのとき、絵本に出てくる勇者のように私を救ってくれた、あの人に。
 目の奥がつんとして、何かが溢れてきそうになった。
 ――もう寝よう。
 なんだか1人で盛り上がってしまったが、そもそも彼が私のことを思ってくれているだなんて、なんで勝手に決めつけているのか。そんな証拠は何処にもない。実際、あれっきり、もう1年以上彼とは会えていないのだ。もしかしたら、私なんかには会いたくもないのかもしれない。もう、忘れてしまっているのかもしれない。
 寝よう。
 寝て、明日の朝になれば全て忘れている。またスッキリとした頭で執務に挑むことが出来る。タイクーンの王、レナ・シャルロット・タイクーンとして。

 ―

 そうして私が意識を手放す瞬間。何か言いようのない感覚に支配され、はっとベッドから身を起こした。
 ――なんだろう。
 部屋を見渡し、何気なく、窓を見る。
 あんなに降っていた雨が、止んでいた。
 ぼんやりとしていた意識が、少しずつ鮮明になっていく。ずっと締め切っていた窓をあけて、清々しい風が、入り込むように。
「――っ!」
 私はベッドから飛び降りた。室内着にガウンを掛けただけで、装飾品もつけず、化粧も落としている。はしたない! とジェニカに怒られそうな格好だが、構わない。
 部屋を飛び出し、厚い絨毯の上を駆け、階段を一段抜かしで駆け下りる。
 奇妙な確信が胸を貫く。その予感は、階段を下りる度により強くなる。
 階段をもうひとつ駆け下りる。あぁ、面倒くさい! 一番上の段から、次のフロアまで一気に飛び降りる。両足、片手、次いで片膝と片手を使って着地の衝撃を分散する。痛みを堪える暇さえ惜しく、そのまま大広前に文字通り転がり込む。
 もう城全体が寝静まった今、大広間の出入り口は固く閉ざされている。見張りをしている衛兵に言えば開けてくれるが――そんなのは待ってられない。大広間を横切り、バルコニーに飛び出る。
 そこには、2つの人影があった。息を荒げ、扉を壊す勢いで飛び込んできた私に少し驚いたようだが、すぐに納得いったといように、2人とも1つの方向を指し示した。
 バルコニーからは下の中庭が見渡せた。そこの端、2人が指す方に小さな池があり、その畔に人の姿が見えた。私の胸が、とくんと跳ね上がる。
「がんばれー、レナお姉ちゃん! 私たちからのプレゼント!」
「………………今回だけ。今回だけだからな」
 1人は満面の笑みではしゃぎ、1人はこれ以上ない程に苦渋の表情をして。
 私は泣きそうな笑みを浮かべ、愛すべき妹と姉に頭を下げた。
 バルコニーの手すりに飛び乗る。そして、躊躇なく、そこからジャンプする。
 先ほどの階段よりも何倍もある高さだった。だけど、私は何も怖くなんて無かった。
 クェッというかん高い鳴き声が聞こえた。大地にぶつかるより早く、温かく柔らかい感触が私を支える。その黄色い毛並みにしっかりと捕まり、私は身を委ねた。
「久しぶり、ボコ」
 ボコからは日だまりのとてもいい臭いがして、まるで彼のようだな、と思った。
 クエェッと誇らしげにまたボコは鳴いた。

 満月が中庭を照らす。花壇の白百合が、どこか誇らしげにその身を揺らした。
 池に近づくと、ボコは足を曲げて身を低くした。私は背中から飛び降りる。
「ありがと」
 首筋をかいてあげると、ボコは気持ちよさそうに鳴いた。そして私から離れると、池の近くでしゃがみ身を休めた。
 私は乱れた息を整える。たったこれだけ動いて息が切れるなんて、運動不足かもしれない。もしくは、他の何かが不足していたからかもしれない。
 覚悟を決めて、真っ直ぐ立つ、そして、彼を見つめる。
「バッツ!!」
「よう、レナ。あー……髪、延びた?」
 バッツは、一年前と、そして出会ったときからなにも変わっていなかった。癖の強いブラウンの髪に、海碧の瞳。風と共に生きる自由人である、バッツらしい旅人の軽装。
 あぁ、バッツだ。
「よくわかったな。今からどうやって場内に忍び込んで迎えに行こうか考えてたのに」
「バッツが笑うと、雨が上がるの。私、それを知ってたから」
 そう、昔もそんな事があった。バッツが笑ったのと同時に、雨が上がったのだ。それはまるで奇跡のようだったけど、でも、バッツはそういう人なのだと不思議には思わなかった。
「……なんだそれ。いや、それよりもこんな夜遅くにごめんな。あいつらからレナが辛そうにしてるって聞いて。そしたらいてもたってもいられなくなってさ。俺なんかに何か出来るわけでもないのにな」
 バッツは苦笑交じりに頭をかいた。
 私はぶんぶんと首を振った。そんなことない。そんなことない!
 彼の姿を見るだけで、私の思考はこうやって澄み渡る。いつも、いつもそうなんだ。あなたがいてくれるだけで!
 上手く言葉に出来ず、ただ首を振っているだけの私に、彼はひとつ頷いた。
「そっか、ありがと」
 伝わるんだ。彼には、私の想いが伝わるんだ。伝わってたんだ。
 彼の側にいるいまなら、どんな答えでも出せる気がした。
「バッツ! あの……あの私!」
「うん」

 色々考えてしまうのは私の悪い癖だ。
 そんな難しい問題じゃなくても、今解決すべき問題じゃなくても、解決しようがない問題でも、私は悶々と深く考えてしまう。そして、簡単な解法にも気付くことが出来ず、どうせ上手くいかないって決めつけるんだ。そういう人間だ。
 だけど、私はもうちょっと、自分勝手に解決してもいいんじゃないかなって、時々思う。それくらいいいんじゃないかなって。私はみんなが幸せになってくれるのを願う理想主義者だけど、決して聖人君子ではないのだ。そんな自惚れはしていない。
 みんな幸せになって欲しいと願うならば、そのみんなの中に、私が含まれててもいいんじゃないだろうか。
 ――私には、私たちにはそれくらいの我が儘が許されても――いいんじゃないだろうか。

 例えば。
 彼と一緒に生きて、タイクーンと世界の平和も目指す。その両方をとる。
 その上手い生き方を模索する、とか。

 私の想いはやっぱり言葉にならなかったようだ。
 けれど、バッツには伝わるんだ。言葉にしなくても、伝わるんだ。
 バッツは、ひとつ深く頷いた。そして私に歩みより、跪いた。
「私と踊っていただけませんか?」

 彼と出会って2年。
 私の想いは変わらない。
 けれどもし、20年経とうとも、200年でも経とうとも。
 私の想いは変わらないのだ。
 その宣言として、今此処に、以前口にすることが出来なかったこの一言をあなたと、私と、そして未来へ、捧げよう。

「ええ、喜んで」


 ― ―


 ら ら ら ら ら

 明るい闇の中 暗い光が ふたりを照らす

 静かな騒音の中 聞こえない音楽で ふたりは踊る

 たん たん たん たん たん

 私が見るのは 貴方だけ
 貴方が見るのは 私だけ
 私を見てるのは 貴方だけ
 貴方を見てるのは 私だけ

 ら ら ら ら ら

 さぁ お願い

 もう一度 あの言葉を


 いつまでも 祈りを