-8月第3週-



「というわけで、今日はなんと、私と同じ事務所の先輩、元アイドルの秋月律子さんがゲストに来て下さいました。律子さん、どうもありがとうございました」
「いやいや、こちらこそお招きいただきありがとうございました」
 スーツ姿をぴしっと決めた律子さんが笑顔で頭を下げる。向こうではプロデューサさんが苦虫をかみつぶしたような顔をして律子さんを睨む。
「こちらもなんかたっぷりあの娘達の宣伝させてもらっちゃってー悪いわねー」
 あ、ぶちっ、ていった。

 ブースから出ると、律子さんがぽんぽんと背中を叩いた。
「いやー、本当にありがとね、雪歩」
「いえいえ、こちらこそ。やっぱり人が多い方がやりやすくて楽しいです」
「そんな、もー、私で良ければいくらでも呼んでー」
「はい、もちろん――」
「誰が呼ぶか!」
 プロデューサが急に横から入ってくる。スタジオ入りした頃から不機嫌だったけれども、ついに耐えられなくなったようだ。律子さんを睨むのだが、当の本人は何処吹く風と笑顔を崩さない。
「えー雪歩が良いって言うんだから良いじゃないですか」
「い、いいじゃないですか、私もおかげで助かりましたし」
「ほら。それに、以前お願いしたじゃないですか。いつか私もゲスト出させて下さいって」
「あほか! こんなぎりぎりにいうな!」
「もー、本当にやるなら今日しかなくてー」
「で、結局そのやった事は自分のアイドルの宣伝か?」
「使えるコネはとことん使うのが私の信条です」
「もう二度とそのコネつかると思うなよ」
「カブノサン、マタイツカワタシニゲストダサセテ」
「思うなよ!」
 うわぁ……今日のプロデューサ、キレキレですぅ……。
 律子さんとプロデューサは私よりも古いつきあい。プロデュースをした事があるとかないとか、私にはよく分からない関係だ。とりあえず、見ての通り仲は良い……のかな?
「だいたい、出すならお前の担当アイドルを出せよ! 何でお前自身が出るんだよ!」
「いやだってほら、あの娘達ってばこの時期だから、もうスケジュールがいっぱいいっぱいで……と、あ……」
 と、律子さんが私の方を見て言葉を止めた。眉毛の端がくっと下がった。私は小さく笑ってから、出来るだけ卑屈にならないように言葉を選ぶ。
「本当に、夏にあの2人をみると元気が出ます」
「秋月と合わせて熱さが4割り増しだわ」
「プロデューサは熱い方が好きですもんね?」
「……」
 彼が無言で私を睨んだ。プロデューサが担当アイドルにそういう目つきをしてはいけないと思いますぅ……。
 律子さんは顔伏せて何か言おうとしたが、ぱっと顔をあげさっきまでの笑顔でありがとう、といった。

「じゃぁ私はお先に」
 ミーティングが終わるとすぐに律子さんは荷物をまとめ始めた。ゲストのラジオでもきっちり自分の主張を通すんだから、つくづく律子さんは凄いと思う。このあともきっと予定がみっちり詰まっているんだろう。大変だなぁ。
「ん? あぁおい秋月。この後どこ行くんだ? 送ってやるよ」
 どうせ私はこの後には予定がないし、律子さんとおしゃべりしながらのドライブは楽しそうだ。いつもと違う道を通るのも、悪くない。
 すると、律子さんは鞄からキーホルダーのついたカードキーを取り出し、指先に引っかけくるくると回した。
「し、ん、しゃ」
 プロデューサはうわぁ、とげんなりした顔つきをした。
「お前まだ20前半だろ……」
「うちの会社でも、調べれば色々と便利な補助制度があるんですよ」
「……え、まじ?」
「じゃあ、お先に失礼します」
「ちょ、おま――」
「蕪野君、雪歩ちゃん、ちょっとこっちに来てくれるかな?」
 プロデューサが律子さんを引き留めるよりも早く、ディレクタが私たちを引き留めた。うぅ、とプロデューサが喉を鳴らすが、律子さんはあっさりと出て行ってしまった。
 あはは、と笑いながらプロデューサの背中を押す。結局同じ道を通る事になってしまったけど、まあ、こういうのも悪くない。




 ――そして、ごくあっさりと。
 ――私の番組が9月一杯で打ち切りになると告げられた。



 ― ― ―

 私がいつも通り、座席に深く腰掛け、シートベルトを締めるのを確認すると、プロデューサはいつも通り、ゆっくりと車を発進させた。
「あぁ、やっぱり降ってるな」
 車が地下から出ると薄暗い中に雨がちらついていた。守衛さんは雨合羽を着てはいるが、外に出る気はまるでないようだ。気持ちは分かる。車のシートもべたべたしている。プロデューサはサイドポケットからタオルを取り出してハンドルを拭う。あのタオルは、私の記憶にある限り、初めてこの車に乗せてもらったときから変わっていない。……ちゃんと洗ってるのかなぁ?
 肩まである髪の毛も首筋にくっついて気持ち悪い。さっと払ってもまたくっついてしまう。夏の雨は湿度だけ上がって気温は下がらない。車内だとなおさらだ。雨の土臭さも合わせて憂鬱な気分だ。――うん、憂鬱だ。
 私はサイドガラスから雨垂れを眺める。車のスピードに合わせて雨垂れは斜めに垂れていく。速くなれば真横に飛んでいくし、車が止まればガラスの下縁まで到達する。その後ろで景色が流れていく。少し気を抜くと私も一緒に後ろに流されていく様な、そんな幻想を覚えた。
 耳障りなラジオの声。何かしゃべっているけど、聞き流す。視聴者にはその権利があるんだと気がついた。
 そんな事ばっかりだ。毎日が発見と後悔の連続で、ああすれば良かったとか、こうすれば良かったとか。次は頑張ろうとは言うけれど、結局の所は今回がダメだったという事じゃないか。毎日が、私がダメダメなんだと発見する、そんな生活じゃないか。
 そしてやっぱり座席はべとついて、雨垂れは流れる事をやめず、ラジオは耳障りだ。

 そして――
 そして――
 そして、車はいつも通り、大通りに出た。

 国道を西へ。車は常に左車線でゆっくり、ゆっくりと走っていく。急ぐ車に抜かされて、時には自転車にさえ抜かされ、そんないつも通り。

「なぁ雪歩」
 赤信号。いつも暇そうな信号脇のファーストフード店が珍しく忙しそうだ。
「まぁ、正直な話、いつ終わってもおかしくない状況だったからな。お前もそれは分かってるだろう?」
 あぁ、いつもは横目で流し見していたから分からなかったが、あの店は地下にも座席があるらしい。
「結構辛いかもしれないけど、ほら、リスナーとはさ、ネット配信とかあるじゃん。そう、そうだよ、ネットラジオ。ファンクラブを通じてネットラジオを配信するとかさ」
 隣にある眼鏡屋との隙間に何台もの自転車が突っ込まれている。――あ、また。
「それでさ、スタッフも同じ人たち集めてさ。今までと何も変わらない様に。うん、俺も頑張ってスポンサー集めるからさ」
「みんな」
 私はサイドガラスから目を離さずに、車に乗ってから、否、打ち切りが告げられてから初めて口を開く。
「みんな、以外とあっさりでしたね。もっとこう、感極まるまでは行かなくとも、残念そうにするかと思ってたんですが。なんだかんだで3年も続けてたのに」
 信号が青に変わり、車が発進する。横断歩道を渡る歩行者に追いつき、追い抜いていく。
「ごめんなさい。今の私、嫌な子でした。別に残念がって欲しかった訳じゃないです。みんなはたくさんある仕事の内のひとつが終わっただけです。私とはまた別の仕事でお世話になるかもしれないですし、個人的に連絡だって取れます」
 サイドガラスに運転しているプロデューサが映っている事に今気づいた。詳しい表情は見えないけど、きっと悲しそうな顔をしているんだろうな。一緒に映る私の顔は――あぁ、なんだこの情けない顔は。ラジオの声はいつの間にか消えていた。
「すいません。今のは違います。だから、その人間関係とかそういう話じゃなくて――」
 例の製菓会社と同じで、話自体は随分前から進んでいたんだろうなと思ったときの、アイドルとしてのほんのちょっとしたプライド。リスナーからの不器用ながら暖かいメールだったり、ディレクタ自ら入れてくれたコーヒーの香りだったり、資料で指を切ってしまった時の痛みだったり、この、車での移動だったりと行った事が。
「――全部、全部こんなあっさりいつも通りではなくなってしまうなんて」
 私は膝の上に置いた両手をぎゅっと握りしめる。
「ごめんなさい。今、なんだかよく分からないんです。けど、辛くて。ごめんなさい」
 ごめんなさい。ごめんなさい。と私は続ける。何に謝ってるのかも分からない。
 でも、とにかく何かに申し訳なくて、情けなくて。
 私がこんなでも、明日からはまた新たないつも通りが始まるんだろう。仕事だって頑張れば取ってくる事が出来るだろう。それだけの事だ。でも、そうなると今までの自分がやってきた事がなんか馬鹿みたいで。何をやってきて、これから何をやるんだろうかって。
 これ以上、続ける事に何の意味があるのかな?
 もう諦めちゃって良いんじゃないかな?
 今なまだ取り返しがつくんじゃないかな?
 それならいっそのこと――


「俺からは何も言わないぞ」
 ずっと黙っていたプロデューサが口を開く。
「お前がどんな選択肢を頭に浮かべてるか分からないけど、俺は優しい言葉なんてかけないからな」
 大人なんだから自分で考えろ、と突き放す様に続ける。
「だってお前は、プロなんだから。昔から憧れてたアイドルなんだからな」

 彼の言葉はきっと、7割が説教、2割が励まし、残り1割がめんどくさい私への苛立ちが込められていた。彼は私に少しだけ上を向いて欲しいだけで、そこにそれ以外の想いなんてなにひとつ込めていないんだろう。
 だけど、だけど。
 私は深く息をつく。

 そうだ、私はアイドルじゃないか。昔から、憧れていた、私の夢じゃないか。
 どれだけぼろぼろになったって、それは変わらない。
 別に私自身はいくら傷ついても良い。そんなのどうでもいい。
 だけど、だけど子供の頃の私の夢を汚すだなんて。
 夢を裏切るだなんて。

「私は全然アイドルじゃないですね」
 強く握りしめた両手をゆっくりと開く。
「こういう時に真っ先に、ファンの事を考えようとしないんですから」
 若いんだから当たり前だ、とプロデューサが呟く。
「はい。だから大人でもないですね」
「言葉で遊ぶな。お前は大人でプロでアイドルだ」
「そう、そうですね。じゃぁとりあえず――」
 私はそう言ってからどうしようかと考えて、あれでいいじゃないか、と決めて、運転席に振り返る。
「――とりあえず、公開録音、しましょう」

 室内に響くのはエンジン音とワイパーの作動音だけ。

「……何だって?」
「公開録音にしましょう」
 再びの沈黙。彼は左手をこめかみに強く押し当てる。
「お前……何? なんだって?」
「だから、ラジオの最終回。公開録音にしましょう」
 速度がぐんと落ちた。もしかして止まるのかなと思ったが、制限速度の半分くらいのスピードで車は走り続ける。
「……もう一度言うぞ。お前は大人でプロでアイドルなんだよな?」
「自分ではそう思ってます。周りから見たらどうなんでしょう」
 わざとらしく首をかしげて人差し指を頬にあてる。営業で使う可愛らしいポーズの練習をしていたら本当に癖になってしまったものだ。
「さっきといっている事が、あぁ、いや、もういい。それにこの際なんでそんな発想に至ったかも聞かない」
 プロデューサは大きくため息をつく。それでも運転はぶれないのだから不思議だ。車の運転とはそう言う物なのだろうか?
「時間的、金銭的、人員的な障害を考えてくれ。今から計画を立ててスタジオを押さえて宣伝して人を集めるのか? 人が集まるのか? 無茶をいうな。あえて不可能とは言わない。でも現実的じゃない。意味も旨みもまったくない。そんな計画が通ると思うのか?」
 ……よくもまぁここまで酷く言える物だ。という事は私の提案がそこまで酷いという事なのだろう。
「やって下さい。それが貴方の仕事です」
「俺の仕事は萩原雪歩というアイドルをプロデュースする事だ。お前個人の我が侭を聞くことじゃあない」
「じゃあ、同情でも構いません。仕事を干されて行き場をなくした臆病でネガティブなアイドルに対して」
 私はプロデューサをしっかりと見据える。自分でもなんで公開録音なんて提案したのか分からない。前々からリスナーと間近でふれあってみたいとは思っていたけど、人前で収録だなんて、あんまり自信はない。
 でも、そう、強いて言うなら、いつも通りではない事をしてみたかった。3年間続いた私のいつも通りを終わらせるのはそういうものであって欲しいと思ったから。
 間抜けなワイパーの稼働音が数回して、彼がひとつ咳払いをする。そのまま車は走り続け、赤信号で止まり、青になりまた走り出す。その間私はまったく視線をそらさなかった。
「3年か……」
 ぽつりと呟きが彼の唇から零れる。
 はーっとまた一段と大きく深いため息がつかれ、また大きく吸い込まれる。
「3日」
「え?」
「3日で話しつけるから、それまではお前1人で仕事してろ。今日からだ。できるな?」
 はい! とすぐに返事をしそうになって、口をつぐむ。頭の中で3日間の仕事内容と自分のスケジュールを確認して、出来ることと出来ないことの把握と優先順位の変更を行う。何故なら私は大人でプロでアイドルだから。中途半端な事は出来ないから。
「……帰ってから1時間だけミーティングをお願いします」
「20分だ」
「はい。じゃぁ20分で」
 ハンドバックから手帳とペンを取り出す私の隣で、プロデューサは三度大きくため息をつく。
「十代の3年だもんな。そりゃ、成長するわな」
 私は何か返事をしようとしたが、何も言わないことにした。代わりにカーオーディオに手をのばしてラジオをつける。例のアイドルがわざとらしくメールを読み間違えて、自分で自分につっこみを入れていた。どうやら彼女は私がデビューした頃よりずっと年下らしい。頑張って欲しいな、と私は思った。
「この娘も、頑張って欲しいよな」
 こう毎回聞くと情がうつるよ、と何気なしに零す彼に私は少しだけ微笑んだけど、手帳から顔は上げなかった。

 もうべとつく座席も、やまない雨も、流れるラジオも鬱陶しくはなかった。こんな晴れやかな気分の時、映画ならここで雨が上がって光が射すのだろうけど、相変わらず空は暗かった。そういうところが私らしくて、素敵だなと、そう思った。


 結局、公開録音の話がついたのは2週間後だった。
 そういうところが、彼らしくて素敵だなと思うのだ。